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タイトル: 荘子言語観の解析
著者: 郝, 晋杰
発行日: 2009年3月25日
出版者: 奈良教育大学
収録種別: 学位論文
内容記述: 奈良教育大学修士学位論文, 学位の種類: 修士(教育学), 学位授与年月日: 平成21年3月25日
抄録: 本論文のねらいは荘子及び荘子学派の言語観の独自性を、他の諸子百家との比較を通じて明らかにすることにある。本論では言語観とはその人為としての言語に対する哲学的な認識と見解だと考えることにする。本論は四つの部分に分けて論ずる。第一章では先秦時代における諸子百家の言語観を検討し、『荘子』の言語観を生み出した時代的思想的背景を明らかにした。第一節では「名」について述べた。古代中国において「名」とは「文字」や「音声」のことだとされた。名実とは名称のあるところには必ずそれに対応する実がなければならないとする考えである。古代中国の「名実論」とは「名」と「実」との関係、両者の一致や不一致を論ずることであった。つづいて孔子や荀子や墨子の言語観を順に検討した。孔子は言語の重要性を認め、「名を正す」ことを主張し支持した。『荀子』もまた言語に対して積極的に評価する態度をとった。彼は言語を肯定し、その言語をうまく機能させるために「正名」が必要なことを説いた。「正名」は治国の根本だと考えた。『墨子』は人間の認識能力は対象を明瞭に知覚できるとする立場を示していた。さらにそれをうけて、言語の伝達機能に対する信頼を表明し、積極的に弁論を行った。第二章では、『荘子』の「道」と「言」との関係、「名」と「実」との関係、「言」と「意」の関係、「言語」と「体悟」との関係及び言語の役割や機能を相対的に検討し、『荘子』の言語観を明らかにした。『荘子』の言語観をまとめて言えば、こうであろう。もともと言語は鳥などの鳴き声と異なり、人間特有の機能として、「道」(真理)を伝えるために造られた人為的な手段である。しかし、言語によっては真理を他人に伝えることができないという限界に達し、言語を超える伝達手段が模索された。その結果、『荘子』は言語を通じない「心斉」や「坐忘」と呼ばれる直接の体験的直感による伝達であった。つまり、『荘子』は言語に対しては根本的に否定する態度を表明していた。第三章では諸子百家の言語観との比較、とくに老子言語観の継承、荀子言語観の分岐という観点から『荘子』言語観の独自性を明らかにした。『荘子』言語観は老荘思想の一環として、「名実論」という領域において儒家や墨家との分岐が鮮明に見て取ることができ、同じく「言語」に関係あるものではあっても、認識が全く異なり、しかも、その時代において唯一、言語に対して否定する態度をとったのはその独自性と言える。しかし、最大の独自性はそれが体験的直感的認識を究極としたように、他の思想家とは異なり、政治への応用という観点をもたなかったことである。第四章では荘子言語観における言語応用の方法論について論じた。『荘子』の説く言語観は現実的に対応するのが難しい。そこで言語的応用として、『荘子』は「予嘗みに女の為に之を妄言す。女以って之を妄聴せよ」(斉物論篇)という態度を見出す。以上、本論文は『荘子』の言語観とその独自性を同時代の思想家の言語観との比較から明らかにした。
言語: jpn
URI: http://hdl.handle.net/10105/916
出現コレクション:2008年度(平成20年度)修了

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